神を信じることの意味

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今日は久しぶりに
僕がフォローしてるFXブロガーさんが
新しい記事を書いててその流れでFXのセミナーを視ていた。

しかし、
1時間2時間あるのに、
ありきたりな内容しか言ってない。

そしてその関連でいろんなセミナーを飛ばしながら見たが
どれも同じことばかり言っていた。
でも多くの人はうまくいかないものだ。

そこから気づいたことを
今日はアウトプットしていきたいと思います。

何を信じているのか

いろんなFXセミナーを視てみたが
大体同じようなことばかり言っている。

そして、よく考えたら当り前で
少し考えたらわかりそうなことばかりだ。

でも言われるまでは、なぜか気づかない。
いや、気づいていても
そうじゃない事を「信じたい」

セミナーを視てもうまく実行できない人は
めんどくさいことをせずに
「もっと楽に稼げる」
と信じたいのだろう。

やればできる。だけど、、

筋トレをすれば体がデカくなることは誰でも知っている。
でも、キツイのは嫌だ、もっと楽な方法はないか。

糖質制限をすれば太らなくなるのも誰でも分かってる。
でも、おいしいごはんやスイーツも食べたい。
食べながら痩せる物はないだろうか。

勉強すれば成長することだってわかる。
でも、分からないからめんどくさい。
サクッと理解できる良い教材はないか。

他人が嬉しいことをしたら
いいことが返ってくる事も知っている。
でも、自分の利益や快楽を優先したくなる。
そんなステキな人がどこかにいないだろうか。

いろんなセミナーや教材で教えられることは
大抵の場合当り前で誰でも知っていることばかりだ。

しかし、正しいことが何かはわかっていても
「もっといい方法」があって欲しい、
「あると信じてる」
というか「あると信じたい」。

そういう気持ちがある限り
実際に実行することは到底難しいだろう。

どの神を信じるのか

「体をデカくしたければ筋トレをしなさい。」

抽象的にはそれでいいかもしれない。
当り前で真理をついている。

しかし、現実にはそう簡単には行かない。

めんどくさいし、キツイし、痛いし、続かないものだ。

実際にやってみるとそういう問題が現実の壁となって
僕らの目の前に立ちはだかる。

楽なものが他にあると信じたい以上、
キツイこと、嫌なことには耐えられない。

「もっと楽な他の道があるのではないか?」
という心の迷いが更に意志の足を引っ張る。

「他に楽な道があるはずなのに、
こんなめんどくさいことやってていいのだろうか?」

そういう気持ちになって諦めてしまう。

せっかく次の問題が見えてきたのに、
また引き返してしまう。

「信じるもの(信仰心)」がないと
そういった「挫折」を何度も繰り返し、
結果的に何も続かない人になってしまう。

誰も信用しない人が
誰からも信用されないのと同じだろう。

スポーツや受験勉強の意味

「信仰心」というと「唯一絶対の神」
と連想しがちだが、
「自分が信じたい事」でいいのだ。

受験勉強は「大学に受かるため」
という理由があるかもしれない。

しかし、他にも見方によっては
色々メリットが有る。

その一つが、
「一つの事を極めること」の体験だ。

「何かを極めた」経験がある人は
やり抜く力がある。

スポーツを「全力で頑張った」
「甲子園には行けなかったけど精一杯やったんだ」
そう言えるような体験が大事だ。

そういう体験をするためには
「信じるもの」がなければできない。

コーチを信頼する でも
先生を信頼する でも
親を信頼する でも、
俺は甲子園にいく でも
スポーツをしたらモテる でも
大学に受かるといい仕事につける、でも
好きな有名人の考え方 でもいい。

あとで見て間違っていたとしても、
その瞬間、信じて突き進む
大きな原動力となる。

「あれもこれも続かないな」
と感じる人は、自分が何を信じているのか
そのあたりを探ってみよう。

意外な足枷の原因が
見つかるかもしれないね。

それではまた。

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